数量経済学的マクロ経済日報
――ホルムズ供給ショックの計量的波及経路と政策反応関数の推定
Quantitative Macroeconomic Daily — Econometric Analysis of Hormuz Supply Shock
Transmission Mechanisms & Monetary Policy Reaction Function · March 22, 2026
本稿は令和8年3月22日時点の公開情報に基づく速報的計量分析である。モデル推計値の不確実性区間は大きく、確定的政策含意の導出には追加検証が必要である。投資推奨ではない。
問いの設定と分析枠組
本稿が扱う核心的問いは三つである。第一に、ホルムズ海峡閉塞による 原油価格ショックが日本の実質GDPおよびCPIに与える計量的インパクトはどの程度か。 第二に、FRBおよび日銀の政策反応関数はこの供給ショック下で どのような挙動を示すか——テイラー則の定量分析から考察する。 第三に、円安・実質賃金悪化・企業コスト上昇の複合経路を Input-Output分析の枠組みで定量化できるか。
第一生命経済研究所(星野 2026)は原油価格シナリオ別の日本経済への影響を マクロモデルで試算しており、本稿はその推計値を参照しつつ、 KHF経済學部独自の計量的枠組みで補完・拡張する。
供給ショックの計量的定式化
2-1. 原油価格ショックのベクトル自己回帰(VAR)表現
原油価格ショックのマクロ変数への波及を計測する標準的手法は、 構造VAR(SVAR)モデルによる分析である。 Kilian(2009)の需要・供給識別スキームに従い、 現局面のホルムズ閉塞を「地政学的供給ショック」として識別する。
y_t = [Δq_oil,t, Δp_oil,t, Δy_japan,t, Δπ_japan,t, Δi_boj,t]’
Δq_oil:世界石油生産量変化(ホルムズ閉塞 → 日量▲8〜10mb/d)
Δp_oil:原油価格変化($67→$108 = +61%)
Δy_japan:日本実質GDP成長率
Δπ_japan:日本CPIインフレ率
Δi_boj :日銀政策金利
識別制約:地政学的供給ショックは同期に需要に影響しない(再帰的制約)
→ インパルス応答関数(IRF)により各変数への動的効果を推定
2-2. 第一生命経済研究所推計値の数量的解釈
第一生命経済研究所の試算は、原油価格シナリオ別の日本実質GDPおよびCPIへの影響を ベースラインからの乖離率として提示している。 これは上記SVARの積分インパルス応答(累積IRF)に対応する。
| シナリオ | 原油想定価格 | 実質GDP影響(1年目) | 実質GDP影響(2年目) | CPI影響(1年目) | 現状との距離 |
|---|---|---|---|---|---|
| 楽観(収束想定) | 〜$75–80 | ▲0.21% | ▲0.35% | +0.22% | 原油が現状より30%低下が必要 |
| ベース(現状近傍) | 〜$87–110 | ▲0.3〜0.6% | ▲0.5〜0.9% | +0.3〜0.5% | 現在の$108が対応(悪化中) |
| 悲観(長期封鎖) | 〜$130 | ▲0.58% | ▲0.96% | +0.63% | さらなる悪化で到達 |
| 最悪(完全封鎖1年) | 〜$140–185 | ▲0.65〜1.2% | 景気後退域 | +1.14%以上 | スタグフレーション確定域 |
野村総合研究所・木内氏(2026年3月6日)は、 3月9日時点でWTIが$111を記録した段階で 「楽観からベース、悲観シナリオに近づいてきた」と評価した。 3月22日現在のBrent $108という水準は、ベースと悲観の中間に位置する。 現状は「第一生命試算の楽観を既に超過した水準」にあり、 実質GDPへの1年目▲0.3〜0.6%という下押しはほぼ現実化していると KHF経済學部は評価する。
// 推計値は公開研究を参照したKHF独自試算。不確実性区間大。確定値ではない。
政策反応関数の定量分析 — テイラー則の拡張推定
3-1. 標準テイラー則と「暗黙の処方箋」
現局面でFRBが「動くに動けない」構造をテイラー則の定量的枠組みで示す。 標準テイラー則(Taylor 1993)は以下である。
【3月22日時点の数値代入】
r* = 2.5%(中立金利推定値)
π_t = 2.7%(PCEインフレ、FRB SEP 3月)
π* = 2.0%(FRBインフレ目標)
φ_π = 1.5(標準値)
ỹ_t ≈ −0.5%(産出ギャップ試算:雇用軟化・エネルギーショック)
φ_y = 0.5(標準値)
i_t* = 2.5 + 2.7 + 1.5×(2.7−2.0) + 0.5×(−0.5)
= 2.5 + 2.7 + 1.05 − 0.25
= 6.0%(インフレ重視のテイラー則の処方箋)
【産出重視の場合:φ_π=0.5, φ_y=1.0】
i_t* = 2.5 + 2.7 + 0.5×0.7 + 1.0×(−0.5) = 5.05%
→ いずれも現行FF金利 3.50〜3.75% を大幅に上回る
「テイラー則が利上げを示唆」し「雇用は緩和を示唆」という矛盾
3-2. Brainard保守性原理による「不確実性割引後」の最適金利
Brainard(1967)の保守性原理は、政策乗数に不確実性がある場合、 最適政策変更はその不確実性の分だけ小さくなることを示す(attenuation principle)。 これを数値化すると:
Λ :政策の不確実性感応係数(中東紛争下で大)
σ²_ε :経済見通しの分散(戦況不明確で推定困難)
テイラー則処方箋 : 6.0%
不確実性割引(試算): ▲2.0〜2.5%
Brainard最適水準 : ≈ 3.5〜4.0% → 現行 3.50〜3.75% と整合的
→ FRBの「様子見」はBrainardの保守性原理の定量的裏付けと解釈できる
3-3. 日銀の政策反応関数 — 拡張テイラー則
日銀に対しては、為替レートを追加説明変数とした開放経済型テイラー則が適切である。
【現時点の数値代入(2026年3月)】
r*_jp ≈ 0.5%(中立金利推定下限)
π_jp ≈ 2.0%(消費者物価、目標水準)
π* = 2.0%
ỹ_jp ≈ −0.3%(エネルギー供給ショック後の下方修正)
e_t−ē ≈ +10〜15円(円安乖離:160円 vs 均衡推定値〜148円)
φ_e ≈ 0.1〜0.15(実証推定値の範囲)
i_boj* ≈ 0.5 + 2.0 + 0 + 0.5×(−0.3) + 0.1×12.5
≈ 3.5〜4.0%(理論処方箋)
現行政策金利 0.75% との乖離 = ▲2.75〜3.25%pt
→ 急速な利上げは景気失速リスク。4月の判断が焦点に
日本の場合、テイラー則は約3.5〜4%の政策金利を示唆しているが、 現行は0.75%と約3%ptの下方乖離がある。 これは日銀が「ゼロ金利制約以降の慣性」を引きずっていることと、 エネルギーショックによる景気下振れリスクを インフレ対応より優先していることを示唆する。 野村総合研究所(木内氏)は「4月利上げの可能性は低下、早くても6月」と分析しており、 これはφ_eを通じた円安圧力が最終的に利上げ圧力に転換するタイムラグとして 計量的に解釈できる。
産業連関分析 — エネルギーコストの波及乗数
レオンチェフ産業連関モデル(Leontief 1941)を用いて、 エネルギー価格上昇が各産業のコスト押し上げを通じて 最終需要デフレーターに波及する経路を定量化する。
p :産業別生産者価格ベクトル
A :技術投入係数行列
(I−A’)⁻¹:レオンチェフ逆行列(コストプッシュ乗数)
Δv :付加価値コスト変化ベクトル(エネルギー行の変化が入力)
【主要産業へのエネルギーコスト波及(参考試算)】
輸送業 :投入係数×原油+61% → 輸送費+15〜20%(推計)
食品製造業 :物流コスト+20% → 食品価格+3〜5%(推計)
化学・石化 :エネルギー直接投入大 → 製品価格+8〜12%(推計)
航空業 :ジェット燃料+83% → 運賃圧力大(ANA/JAL)
→ 食品・日用品へのコアCPI二次波及は2〜3カ月後に顕在化(試算)
| 波及経路 | 変化の起点 | 直接インパクト | タイムラグ | CPI寄与(推計) |
|---|---|---|---|---|
| ガソリン直接価格 | 原油+61% | 国内ガソリン+25〜30% | 即時〜1ヶ月 | CPI直接+0.3〜0.5%pt |
| 電力・ガス料金 | LNG価格高騰 | 電気料金+10〜15% | 3〜6ヶ月 | +0.2〜0.3%pt |
| 物流・輸送コスト | 軽油・ジェット燃料 | 輸送費+15〜20% | 1〜3ヶ月 | 食品等+0.1〜0.2%pt |
| 円安による輸入インフレ | ドル円+10〜15円 | 輸入物価+3〜5% | 2〜4ヶ月 | +0.2〜0.4%pt |
| 農産物・砂糖・穀物 | 燃料費波及 | 砂糖+10%・トウモロコシ+6% | 1〜3ヶ月 | +0.05〜0.1%pt |
| 実質賃金(逆作用) | 物価上昇 | 春闘5%台も実質▲0.5〜0.8% | 4月以降に発現 | 消費▲0.2〜0.4%pt |
実質賃金ダイナミクスと潜在GDP毀損の推計
5-1. 実質賃金の分解式
第一生命経済研究所(2026年3月)は「1〜3月の実質賃金はプラスも、 原油価格高騰で4月以降に再びマイナス転化リスク」と指摘している。 これを定量的に示す。
2026年1〜3月時点:
Δw_nom ≈ +5.0%(春闘賃上げ3年連続5%台、連合集計)
ΔCPI ≈ +3.2%(2025年物価変動率、基礎年金改定の根拠値)
Δw_real ≈ +1.8%(名目賃上げが物価上昇を上回る = 実質プラス)
4月以降(原油高+円安が完全波及した場合の試算):
Δw_nom ≈ +5.0%(賃上げは既確定)
ΔCPI ≈ +4.0〜5.0%(二次波及込み)
Δw_real ≈ 0〜▲1.0%(実質賃金 再びゼロ〜マイナス圏)
5-2. 潜在GDP毀損の試算
エネルギーショックによる永続成分の推計:
α ≈ 0.35(資本分配率、日本標準値)
ΔTFP_perm:エネルギーコスト上昇→生産技術の永続的非効率化
= Brent $108継続1年 → TFP▲0.1〜0.2%(参考推計)
ΔL :雇用への二次打撃(企業コスト増→求人減少)
= 中小企業倒産増を通じた労働供給減
→ 潜在GDPそのものが▲0.1〜0.3%pt 永続的に低下する可能性
(単なる循環的産出ギャップではなく供給側の構造損傷)
KHF数量経済研究室 — シナリオ確率分布と政策含意
以下に、ホルムズ情勢の展開を条件とした経済シナリオの主観的確率分布を示す。 これはベイズ的事後確率の数量的表現であり、 今後の情報(停戦交渉・原油価格・CPIデータ)によって逐次更新される。
= −0.024 − 0.203 − 0.280 − 0.112
= ▲0.619%(実質GDP押下げの確率加重期待値)
※これは26年度成長率予測(MRI:+0.9%)に対し、
実効的な成長率が+0.28%程度に切り下がることを意味する
上記の分析が示す政策的インプリケーションは三点に集約される。 第一、FRBのBrainard的「様子見」は現局面で定量的に正当化されるが、 不確実性が低下した時点(停戦 or 油価安定)では テイラー則が示す引き締め方向への修正圧力が一気に顕在化する。 第二、日銀の政策金利は依然テイラー則処方箋から▲2.75〜3%ptの下方乖離にあり、 この「乖離の累積」が円安圧力として継続する構造的要因となっている。 第三、産業連関波及の二次効果(食品・物流コスト)は 2〜4ヶ月後の遅延効果として顕在化するため、 3月CPI・4月CPI の数値が今後の政策判断の臨界点となる。
主要情報源・注記
- 第一生命経済研究所・星野卓也(2026年3月)「米イラン攻撃の日本経済への影響試算」 — 原油シナリオ別GDP・CPI試算の主要出典
- 野村総合研究所・木内登英(2026年3月6日収録)「原油価格上昇が日本経済・金融政策に与える影響3シナリオ」
- nippon.com(2026年3月)「イラン攻撃の影響:海峡の長期・完全封鎖なら日本はスタグフレーション」NRI・木内氏分析の要約
- JBpress(2026年3月16日)「楽観は危険、世界経済は2008年リーマン前夜に酷似」BofA・ハートネット氏の指摘
- 三菱総合研究所(2026年2月)「世界・日本経済見通し」— 日本GDP+0.9%予測の出典
- 第一生命経済研究所(2026年3月)「プラス転化した実質賃金(1月毎月勤労統計)」
- Taylor, J. B. (1993). Discretion versus policy rules in practice. Carnegie-Rochester Conference Series on Public Policy, 39.
- Brainard, W. (1967). Uncertainty and the effectiveness of policy. American Economic Review, 57(2).
- Kilian, L. (2009). Not all oil price shocks are alike. American Economic Review, 99(3).
- KHF注記:本稿の計量推計値はすべてKHF独自試算であり、不確実性区間が大きい。確定的政策含意の導出には追加的な実証分析が必要である。投資推奨ではない。
令和8年(神衞歴7年)3月22日 | 数量経済学的マクロ経済日報 第22号 | ※未査読
